PTC ジャパンは、2021 年 4 月 20 日、オンラインイベント「製造品質と教育レベル向上のための有効かつ効率的なデジタル活用法」を開催した。

本稿は、ファイザー・ファーマ 名古屋工場における Vuforia Expert Capture の導入検討に携わった、製剤部 開発・生産技術グループ所属の笹村 尚史氏による講演「製品品質と教育レベル向上のための有効かつ効率的なデジタル活用法――ファイザー・ファーマが語る、医薬製造のトップランナーを支える先進 DX テクノロジーの活用法をご紹介」の内容をお届けする。

笹村氏は、2007 年にファイザー・ファーマへ入社。製造部門、品質部門を経て、現職。現在は、経口固形製剤技術関連の業務に携わりながら、製造部門におけるデジタル活用関連業務を推進している。

患者様の生活を大きく変えるブレークスルーを DX で実現

「患者様の生活を大きく変えるブレークスルーを生みだす (Breakthroughs that change patients’ lives)」を理念とする、米国を拠点とする大手製薬会社のファイザー。コロナ禍の報道においては、新型コロナウイルスワクチンの製造元の 1 つとしても名前が挙がる。

 

同社における日本国内での製造を担う企業が、ファイザー・ファーマである。同社 名古屋工場は愛知県の知多半島の東沿岸部、武豊富貴工業団地内を拠点とし、医薬品における原薬や最終製品の製造、製薬研究などを行う。主力は国内出荷品であるが、一部、海外出荷品も取り扱う。

ファイザー・ファーマも一員である、グローバル製造部門 (PGS) においては、「品質や環境、コンプライアンス」「安定供給」「製品価値・コスト」という 3 つの価値基準を設け、ファイザー独自の厳格かつ詳細なガイドラインを導入している。さらに同社では、コロナ禍以前より、全世界で製造のデジタルトランスフォーメーション (DX) に積極的に取り組んできた。

製造部門の“つながらないデータ”が生み出す課題を解消

DX に取り組む以前である 2016 年頃、ファイザーグローバル製造部門 (PGS) は複数のレポーティングツールや工程が存在する状態であり、蓄積されるナレッジもシステムごとで閉ざされていた。また各部門の設備データへのアクセス手段も限定的である。このような“つながらない”データ管理体制により、情報の視認性や業務効率について課題を抱えてきた。

そのような課題を解消すべく、2020 年から PGS 全体における生産性の向上およびパフォーマンスの最大化を実現するための仕組みを導入。各工場現場の作業から、管理、経営、サプライチェーンまでを一気通貫させ、データを一元管理(デジタルスレッド構築)し、必要な時に必要なデータにアクセスできる環境を実現し、各部門が望むレベルで情報が確認できることを目指している。また廃棄の削減、データを用いた予測分析にも取り組んでいく。

また、PGS における各拠点においては、デジタル工場成熟度の 5 つのステップを適用して評価する。まだ紙ベースでの業務で、デジタル化の準備が整っていない「Pre-Digital Plant」、ERP などコアシステムを導入している「Digital Silos」、データ収集およびプラットフォームが整っている「Connected Plant」、データからの予測・改善に取り組む「Predictive Plant」、CMO(医薬品製造受託機関)管理まで含めたデジタル化を実践している「Adaptive Plant」である。拠点ごとのステップの進捗具合に応じて、DX の計画を策定して進める。

このステップを踏んでいき、製造と供給のオペレーションをエンドツーエンドで統合することで、指数関数的に価値が向上するとファイザーでは考える。さらに組織、プロセス、デジタルを連携させることによる、持続可能な変革がかなえられるとしている。

またファイザーは、PGS における革新技術適用のビジョンとして、製造業の従業員における学習、業務、情報活用の手段を変革して、従業員の力を解き放ち、製造現場の効率を高めることを掲げる。そのステップとしては、リアルタイムにデータ取得できる環境構築のステップ「データロック解除」、デジタル製造や AR(拡張現実)の適用のステップ「業務」、VR(仮想現実、バーチャルリアリティ)トレーニングのステップ「学習」の 3 つを挙げている。


つながる工場・ファイザー・ファーマ 名古屋工場

ファイザー・ファーマ 名古屋工場は、上記のうち Connected Plant のステップにあり、次の Predictive Plant における取り組みの一部も実施している状況である。同工場では、IoT プラットフォームにより PLC からデータをリアルタイム収集し、必要な人が必要なデータに容易にアクセスできる環境を整えて、データを活用した製造工程の品質改善および安定化に取り組んでいる。

またファイザーの革新技術適用のビジョンに基づき、業務レベルでは AR を用いた業務改善を実施する。最終的には、VR システムを用いた教育システムを運用することを目指している。

同工場の製剤部 開発・生産技術グループの業務には、新剤形開発やクリニカルサンプル製造、新規設備検討・導入などを行う「製剤開発」、海外開発新製品や製造移管を行う「製品導入」、行政向けの申請資料の作成や紹介対応、行政査察対応など行う「行政対応」、スケールアップやファーマコビジランス(医薬品安全性監視)、トラブルシューティング、コストダウン支援、継続的な改善などを行う「現場サポート」、委受託製造などを行う「外部サポート」の 5 つがある。

そのうち、現場サポートの一環として、デジタルを活用した工程改善や、収集データからの予測などを実施している。

現場にのしかかる人材教育の負担をどう解消すべきか

ファイザー・ファーマ 名古屋工場では、新入・中途入社社員の増加に伴う教育体制や、移動や退職による暗黙知の喪失など、教育や技術伝承の課題を抱えてきた。また、教育するトレーナー側は業務過多になりがちであり、かつ教育内容が定型化されておらず、トレーナー個々でトレーニング内容にばらつきがあった上に、同じ人であってもいつも一定した内容になっているとは限らなかった。

またファイザーでは近年の市場ニーズに併せ、品種を絞った大量生産体制から、多品種少量生産体制にシフトしてきていることから、増えた品種と複雑化した作業によりトレーニングの時間が増え、かつコストもかかってしまうという問題もあった。言葉では言い表しづらい作業も増え、SOP(標準作業手順書)では手順が網羅し切れないといった事態も起こっていた。さらに、衛生管理や危険物管理が厳しい製薬の製造現場では、紙や筆記具の持ち込みに制限がある。

このような事情から、現場における人材教育の負担が日々、増大しているような状態であった。

「Vuforia Expert Capture」で製造現場の作業習熟度を効果的に高める

そのような現場に重くのしかかる人材教育の課題を乗り越えようと、ファイザー・ファーマ 名古屋工場が選んだのが、AR ナレッジキャプチャーツールの「Vuforia Expert Capture」だった。先行して採用していたファイザーのアイルランド拠点で Vuforia Expert Capture を採用しており、そこから紹介してもらう形で検討を始めたということだ。

Vuforia Expert Capture は、熟練者目線のガイダンスコンテンツを AR で提供する仕組みだ。その機能は、「キャプチャー」「編集」「閲覧」の 3 つに分かれる。コンテンツ素材を取得するキャプチャーは、設備の立ち上げ、構成(キャリブレーション)、環境モニタリング、安全パトロール、設備組み立て・運用など、さまざまなシーンで行える。また、利用や編集では特別な専門知識が不要であることから、製造従事者、ラボの試験担当、新人、技術者など、さまざまなバックグラウンドの人が自分自身で使用できることも特色だ。また、コンテンツの閲覧端末はPCの他、タブレット端末やスマートフォンなどがあり、活用できるシーンは幅広い。

同社では、まず製造部門から Vuforia Expert Capture の適用可能性を検討し始めた。現場の作業者へのヒアリングでは、それぞれの製造工程において、特に作業の習熟度が個人によりばらつきが大きい作業を集中的に挙げてもらった。実施頻度や作業時間、現場の熟練者の比率、作業の複雑さや忘れやすさなどさまざまなパラメータをもうけて、マトリックス化して点数を付けた。その上で、Vuforia Expert Capture の適用優先度を定めた。

マトリックスによる分析の結果、Vuforia Expert Capture の適用可能性が高いのは、「乾式造粒機の組み立て」「打錠工程におけるトラブルシューティング」「錠剤検査工程における製造条件の調整」の 3 つとなった。

まず、粉状の薬品を粒にするための乾式造粒機の組み立ては複雑なプロセスであり、かつ製造頻度が低い。また粒末に圧力をかけて成形する打錠工程では、作業者間におけるトラブル対処の習熟度に差異があった。トラブル発生時、トラブル対処の習熟度が低ければトラブルに速やかに対処できないことから、機械停止の時間も長引くことになる。さらに錠剤を検査する工程では、作業者間によって安定した製造が可能な製造条件の設定にすることが難しい。

この 3 つの工程において、Vuforia Expert Capture の適用により未熟な作業者の習熟度を高めることで、これらの課題の解消が期待できるとした。

中でも、錠剤検査工程における製造条件の調整については、作業手順の言語化が非常にしづらく、写真のみで理解することも困難であるという「教えづらさ」が際立ち、かつその問題が解消されれば作業時間短縮の効果が特に高そうであるとして、適応の優先順位を高めた。

なかなか伝えるのが難しい作業を Vuforia Expert Capture で

Vuforia Expert Capture の導入順序としては、「理解」「導入例」「運用提案」という 3 ステップを設定した。

理解のステップでは、「折り紙を折る」など簡単な作成手順でツールの使用感を確認した。また製薬の製造はクリーンルームで作業することから、一般の作業現場とは緊急避難時の経路や手順が異なる。従来、なかなか確認しづらかった避難手順を Vuforia Expert Capture で作成できる重要性についても説き、実際に製造現場に理解してもらうこともできたという。

次の導入例のステップでは、より製造に近い例を作成。ここでは GMP(Good Manufacturing Practice、適正製造規範)に影響しない範囲の安全作業に関する教育資料を Vuforia Expert Capture で作成した。安全確保は、安定供給には欠かせない要因であるため、適用を検討した。

現在、名古屋工場では 3 ステップ目である運用提案を実施しており、錠剤検査工程での作業手順を作成している最中で、作業者間における条件習熟度の差異という大きな課題を乗り越えるための検討を行っている。まず現場作業者から習熟度の差異の影響が大きい製品を複数聞き取りし、そのうち製造時間データから特に差異が大きいと思われる特定の製剤について調査した。その結果、作業者以外の理由による作業時間遅延を除外しても、1.5 ~ 2 倍程度の作業時間の差があることが確認できた。

SOP に記載されている組み立てや機械立ち上げの手順として、例えば「錠剤が正しい位置になるように部品のつまみを調整する」「錠剤の流れが安定するように部品ビューを調整する」といった作業では、手順が具体化されていない作業が判明し、そのような調整作業がロットごとの処理速度のばらつき具合に大きな影響を及ぼしていることが確認できた。

次に、上記のような影響の大きかった製造作業に対象を絞って撮影案を検討。熟練者の視点から、組み立て調整時や錠剤搬送調整時の作業を撮影し、搬送時の錠剤位置や流れが、生産速度に大きな影響を及ぼしていることが改めて分かり、暗黙知の肝となる部分も見えてきた。実際に教える側と教わる側、双方の伝達が難しいことがはっきりと分かり、Vuforia Expert Capture の適用が有効であろうと評価した。

今は、Vuforia Expert Capture で、作業の「良い例」と「悪い例」を比較提示して説明するなど、説明方法を試行錯誤している最中である。

Vuforia Expert Capture の適用で期待できる効果としては、未熟な作業者の調整作業が少しでもうまくいくような、分かりやすい教育資料を作成して運用し、作業者全体の習熟度を高めることで生産速度を底上げしていくことである。特に、製造部門でも高い稼働率を占める錠剤検査工程においてキャパシティを向上させるべく、力を入れて取り組みを実践していく方針だ。

Vuforia Expert Capture で技術者教育を拡大

ファイザー・ファーマの笹村氏は、これからの Vuforia Expert Capture に求める機能としては、GMP 認証された改定プロセスや Audit Trail(監査証跡)機能の実装、スマートフォンによる録画、社内教育システムへの統合、各地の工場に特化した内容かつ各工場で運用管理が可能であること、シングルサインオン、承認フローを含む各作業のトラッキングを挙げている。

ファイザー・ファーマ 名古屋工場では、今後、教育資料を完成させ、運用テストで十分な改善効果が確認できれば、GMP環境に移行を検討したいと考えている。さらに製剤製造部門に限らず、他部門へも適用を展開していきたいとのことだ。