PTC ジャパンは、2022 年 4 月 13 日に開催された日経クロステック Active オンラインセミナー「データドリブン マニュファクチャリングの未来」(日経BP 主催)に協賛した。

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本講演では、武田薬品工業株式会社(以下、武田薬品)グローバルマニュファクチャリング&サプライ ジャパン 戦略企画部 データサイエンスグループ グループマネジャー深川 俊介 氏が登壇。迅速な状況把握や意思決定の高速化のために同社が取り組むデータドリブン(※)マニュファクチャリングについて、同社製造拠点におけるリアルタイムダッシュボード導入を 2 事例、AR(拡張現実)コンテンツ活用を 2 事例を示しながら紹介した。

(※)データ分析に基づいた意思決定やアクションの実行のこと


医薬品製造における先進技術導入へのチャレンジ

患者の命や健康に影響を与える医薬品には高度な品質保証が求められるため、その製造は販売国の当局により厳しく規制されている。製造手順などを事前に当局へ届け出て承認を受ける必要があり、一度承認を受けたものを変える場合は変更に対して再度承認を得なければならない。一方、そのような厳しい規制の中でも迅速なイノベーションを起こすことが求められており、これが今回紹介したデータドリブン マニュファクチャリングのプロジェクトにおいて、大きなチャレンジであったという。


プロジェクト活動対象である医薬品製造工程の紹介

山口県光市にある同社光工場における医薬品固形製剤の製造工程は、大きく「原薬製造」「製剤製造」「包装工程」からなり、先進的な製造システムにより一連の工程は自動化されている。

まず原薬製造では様々な原材料を化学反応させ精製し、医薬品の有効成分である原薬を製造する。コンピューターシステムによる自動制御により24時間体制で製造が可能だ。各工程後に行われる工程分析により高品質な原薬製造を担保している。続く製剤製造では、原薬と添加剤を混合し、錠剤の形に圧縮加工する。品質の安定性を保ち服用しやすくするためのコーティングや錠剤識別のための印刷を施し、さらにその後に検査を実施する。最後の包装工程では、錠剤をプラスチックフィルムに包装し、製品パッケージに箱詰めし、さらにそれをダンボールに梱包する。

以降で紹介する導入事例 1 は、このうちの包装工程を対象としているが、製剤や原薬の製造工程においても同様な仕組みを展開中、もしくは展開を検討中である。


ステークホルダーを広く巻き込んだ活動推進体制

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前述の医薬品製造における厳しい規制を遵守しながら先進的な取り組みを推進するためには、適切な関係者をしっかりと巻き込んでいくことが重要となる。今回紹介したプロジェクトの各導入事例においても、プロジェクトリーダーに加えて製造プロセスに精通する現場担当者もアサインした。製造データ可視化のダッシュボード開発事例については、データの取り扱いに慣れているデータサイエンティストも参加した。

一般的に、現場の担当者は最新のデジタル技術については精通しておらず、一方のデータサイエンティストは製造現場について精通していない。それぞれの専門家の長所を生かし、かつ欠点を補い合いながらプロジェクトを進める体制を構築したという。

製造装置からクラウドにデータをアップロードするためのデータパイプラインの構築においては、エンジニアリングチームや IT チームとの定期的なミーティングを設定し、密に巻き込みながらアーキテクチャーの設計や実装を進めたとのことだ。

進捗アップデートや重要な意思決定の承認を得る場としては、同社では「ステアリングコミッティ」という会議体を設定した。ここでは工場長やさらに上のリージョンヘッドといったマネジメント層も参加し、定期的なコミュニケーションを図っている。また、PTC とも密なコミュニケーションを取りながら、アジャイル開発を進めてきた。


情報収集と意思決定の仕組み

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武田薬品では毎朝、現場の各グループでパフォーマンスダイアログと呼ばれるミーティングを実施している。日々起こった出来事やトラブルについて情報共有し、さらにそれに対するアクションの決定などが行われる。ミーティングの中で、現場で対処が難しい問題や工場全体で共有すべき重要な案件が出てくれば、工場長や部門長に報告を上げて、対処や意思決定を仰ぐ仕組みが構築されているという。


手動によるデータ収集が現場の負担に

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こうした仕組みにより、現場の情報を迅速に工場長レベルまで届けて、タイムリーな意思決定につながるようにしているのである。しかし、毎朝のグループミーティングで使用する現場データの収集は手動で行われているものも多く、近年その作業負担が大きな課題となってきたという。

同社製造部門の一部では、設備稼働率やトラブル時間といった指標を可視化する仕組みを BI ツールを用いて独自に構築していた。ところが、そのソースデータは製造システムや紙記録から手作業で収集したものに頼っており、それをクラウド上の帳票ファイルへ手入力で転記する作業が現場作業員の負担になっていた。また入力内容の判断や記録作業が属人的であることから、データのばらつきや精度低下も懸念された。

また部門によっては、BI ツールの導入がなく、紙ベースでの運用が続いており、さらに業務負荷が高い状態であったという。


リアルタイムダッシュボードの採用

そこで今回のプロジェクトでは手動でのデータ収集の排除、および状況把握の高速化を目的として、リアルタイムダッシュボードの開発に取り組んだ。

下のアーキテクチャー概要図において、赤枠で示されている部分が今回のプロジェクト開始以前から存在していた生産システムの本番環境で、緑の矢印や枠で示されている部分が今回のプロジェクトで新たに構築されたデータ経路や環境である。

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通常、機能拡張等で本番環境に対して変更を加える場合は、適切な手順を踏んで変更管理などを行い、変更作業の実施は工場の操業が行われていない、あるいは一時停止しているタイミングを待つ必要がある。そのためスピーディーさが求められる PoC の開発プロジェクトを思ったように進めることはなかなか難しい。そこで今回は PoC 用の環境(上図、緑線でつないだ経路)を本番環境の一部から分岐する形で構築することにした。この PoC 環境を利用することで、開発中に環境に対して自由に手を加えたり、将来的な拡張として IoT センサーの追加を検討するといったことが可能になり、今後の開発に柔軟性とスピード感を持たせることができたという。

PoC 環境では生産システムからの時系列データと、生産に関するさまざまな情報が蓄積される生産実行システムのデータを IoT プラットフォームに吸い上げる仕組みが構築されている。IoT プラットフォームに蓄積されたデータは、開発したダッシュボードを通して各サイトや遠隔拠点にあるパソコンから閲覧できるようにした。後述する AR モデルは、クラウド上にデプロイし、ヘッドマウントディスプレイ (HMD) やモバイル端末などにダウンロードして表示できるようなっている。

下図の例は、実際に開発したダッシュボードの画面であり、既に製造現場のパフォーマンスダイアログで毎日活用されているという。

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このダッシュボードでは、横軸に時間、縦軸に製造装置から出てくる製品の出来高カウントが表示されている。先述の PoC 環境でデータが自動収集されるようになったおかげで従来の手入力作業が不要になることに加え、属人的作業由来のデータ精度の低下を懸念せず済むようになった。

このダッシュボードにより「どのタイミングで」「どの装置に問題があったのか」などが一目瞭然で分かるようになり、日々の製造状況の把握において非常に効果的であると同時に、トラブルが起こった際の意思決定のサイクルも非常に短縮されたということだ。

講演時点では、上記システムで取得したデータをさらに処理して、製造装置の稼働率や各装置内で起こったトラブルのランキング表示(パレットチャート)もできるダッシュボードを開発中であり、「一部機能に関して、まもなく現場にリリースする予定」と深川氏は説明した。

またダッシュボードのデータをさらに有効利用するために、同社のグローバルオペレーショナルエクセレンスチームの主導のもと、「ビジュアルシステム」と呼ばれるボードの導入も進んでいるという。

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ビジュアルシステムは、世の中で一般的に使われている考え方や、武田薬品がこれまで蓄積してきた手法をうまく組み合わせて開発した、同社独自の仕組みである。


ビジュアルシステムには、例えば日々のミーティングで議論すべき内容のリストや、先ほどのダッシュボードのデータなどが表示されている。ダッシュボードの各データは事前に閾値を設定しておくことによって、それを超えた場合に赤で強調表示されるようになっている。そうした仕組みによって、「データのどこに注目して、どのような状態になったらアクションを取るべきか」が明確となる。さらに決まったアクションの記録や実施状況のトラッキングを行う仕組みも含まれるという。

「持続的な現場の改善を行う上では、ダッシュボードのようなデジタルツールの提供だけではなく、このような仕組みも同時にデプロイ(展開)することが重要だ」(深川氏)


大阪工場の事例

次に大阪工場における事例も紹介した。

大阪工場の医薬品製造は、多くの工程からなっており、かつ各工程には様々な部門が関与する。グループ間でのコミュニケーションにおいては、これまで稼働状況や生産スケジュールなどの情報は一元管理できていなかったという。

工程間のコミュニケーションの円滑化について

そのため、各グループの間では、電子メールや電話といった手段でコミュニケーションを取り合うしかなく、かつ、それにかなりの時間が割かれることになり、生産性向上に影響がでていたとのことだ。また口頭伝達の多さから、ミスコミュニケーションも発生しやすくなっていた。

そうした課題を解決するために導入したのが、下図のタイムチャートだ。

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横軸が時間、縦軸が各製品の品目となっており、それぞれに対する工程の進捗具合が

リアルタイムで表示されるようになっているため、最新の状況が関係者に共有できるようになった。「このタイムチャートの導入で、ミスコミュニケーションの排除に貢献できると考える」(深川氏)。

さらにタイムチャートからの情報に基づき、次工程に向けての計画的な準備が可能になることから、工程全体での工数短縮化にも期待できるとしている。

講演時点では、過去から現在までのデータしか表示できないが、「次の工程がいつ頃始まるか」などの予測を可視化する機能も実装する予定だ。


AR 技術の活用

続いて深川氏は、全社的に積極的な導入が進んでいるという AR(拡張現実)技術の活用について 2 つの事例を紹介した。


生産装置の操作トレーニング

まず、生産装置の操作トレーニングの事例を紹介した。

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製造工程で使用される装置の中には、無菌室の中で複雑な操作を必要とするものがあり、そうした操作を行う際には、事前に十分なトレーニングを受ける必要があるという。

トレーニングは操作手順書を読み込む座学と実際の装置を使っての実技からなるが、初めてその装置を目にする新人にとっては、いきなり文字や 2D 画像情報による大量の手順書を読み込んで理解するのは時間のかかる大変な作業であった。また、実機でのトレーニングは製造が行われていないタイミングを探して実施しなければならないのでトレーニングの予定を確保しづらく、結果としてトレーニング期間が長期化してしまうという問題もあったという。

さらに、このようなトレーニングでは、熟練者が新人に対して OJT で指導も行っているが、熟練者は多忙な業務の中で時間を確保しなければならず、現場からも指導時間の短縮の要望についての声が挙がっていた。

そこで AR 技術を用いて、トレーニングコンテンツを開発。こちらの導入により、より直感的でアトラクティブ(魅力的)に学習できるようになったという。

また、AR コンテンツであれば無菌室内だけでなくその外でも使用可能であるので、製造スケジュールに縛られる実機トレーニングを行う前に事前のシミュレーショントレーニングを行うことができるという利点もある。

今回導入した AR コンテンツへの期待として、「習熟速度のアップや理解度のアップ、トレーニング全体の期間短縮などができるだろう」と深川氏は述べている。


製造拠点間の技術移管

2 つ目は製造拠点間の技術移転に AR 技術を適用した事例だ。世界各地に製造拠点を持つ武田薬品では、製品の展開に合わせてある拠点で製造している製品を他の拠点でも製造することが国をまたいで計画される。従来は熟練した技術者が移管予定先の拠点へ出張し、製造現場の指導にあたっていた。しかしコロナ禍における渡航制限などにより出張がなかなかできず、技術移菅がままならない状態となっていた。医薬品を設計通り製造するには、その製造手順を完璧に再現する必要があるのだが、現地での技術指導なしに、電子メールや電話でやり取りしながら、文字や絵だけで正確に伝えるのは極めて困難である。

そこで AR 技術を利用した技術移管に取り組んだ。

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「コンテンツの作成自体は、日頃使うドキュメントツール感覚で簡単に作れる。さらに、このようなコンテンツを表示しながら作業する様子も簡単に動画撮影できる」(深川氏)

ヘッドマウントディスプレイ (HMD) を装着した移管元の熟練技術者が AR コンテンツを使いながら作業する様子を HMD 越しに動画撮影し、これを移管先に提供した。細かい作業手順を直感的に理解してもらいながら、技術移管が進められるようになったという。また熟練技術者目線で撮影されているので、作業中に注目すべき重要なポイントを伝えやすくなったとのことだ。


気づき・学び

深川氏はまとめとして、今回のプロジェクトでの気づきや学びについて語った。

1 つ目は「ビジネスケースから始めることが重要」という点である。PoC やただのデジタルツール導入で終わらせないためには、業務上の課題をしっかりと理解した上で、ツール開発を進める必要があることは知っていたが、それを改めて実感したという。

2 つ目は「小さなデモコンテンツが重要!」という点である。最新のデジタル技術などはそれがどんな技術でどのようなメリットがあるか、最初は現場担当者になかなか理解してもらえないケースもあるが、同社の現場の事例に対して小さなデモ用コンテンツを作成し共有することで、より身近な例としてメリットを理解してもらえたという。また、特に AR コンテンツのデモでは、初めて現場担当者に見せた時に感動してもらえると、その後は前のめり感をもって参加してもらえるようになり、また色々な提案も出てくるようになったとのことだ。

3 つ目は「利用しきれていないクラウドデータ」を挙げた。今回のプロジェクトでその環境の構築に携わった関係者はクラウド上にどんなデータがあるかを知っている一方で、現場担当者はそれを知らないため、現場の課題解決へ利用しようという発想に結びついていないこともあったそうだ。利用可能なクラウドデータの情報を現場側にも積極的に公開していくことが必要だと深川氏は語った。

4 つ目は「データドリブンカルチャーの醸成」ということで、今回のプロジェクトで開発したリアルタイムダッシュボードの導入により、現場でのデータ利用のリテラシーも上がってきた点を挙げた。

最後は「コンテンツ作成過程での気づき」について語った。トレーニング用 AR コンテンツ制作中の現場担当者達とのディスカッションの中で、「こうした方がよりよく作業できる」など、他の作業者が実践しているやり方を聞く機会にもなり、ベストプラクティスを学べるよい機会になったという。また、これが暗黙知の顕在化にもつながったという。


データドリブン マニュファクチュアリングの今後

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今回のプロジェクトで製造データをリアルタイムで現場に届けることができるようになり「何が起きたのか」を迅速に把握できることができるようになってきたのは、データドリブン マニュファクチャリングの実現に向けて大きな前進である。次の数年ではデータ分析により「なぜ起きたのか」を特定する Diagnostic Analytics(診断分析)や「何か起こるか」を予測する Predictive Analytics(予測分析)を目標にしているという。さらにその先では AI(人工知能)などを活用し、「どうやればよいか」を提案する Prescriptive Analytics にも挑みたいとのことだ。